- 2009年3月 8日 17:49
- マスターが何か言ってるから聴いてやってください。
前からお話していたマルさんの陶芸の展示会は来る4月10日より開催されます。火曜日はお休みです。
もう既に蕎麦猪口のご希望の方もおられ、又、コーヒーのペーパーホルダーで蓋付きのものが欲しいという、ある方面からの問い合わせがあったりします。
もうほんと楽しみです。
おっとその前にまだまだやる事ありですぞ。螺子まけー。ですからもう。
と言いながら頭の中は違うこと考えていたりで、大忙しです(自分で勝手にそう思っているだけ)。3月決算だってやるわけだし・・・。
実は十手がなかなか届かないので2度目の催促をさせていただきました。もう待ちきれない感じです。渡辺氏が持ってきてくれた書物には江戸時代に八流の十手術の流派があったそうです。
そして私が睨んでいた通り十手はお上の印であったそうな。当時でも隠し持った十手を出し「御用だ」と構えれば、それなりに抑止効果があったそうで。私の目にくるいはない。
自分の身を守るのに、自分のこの細い体の巾だけのことと解った上で、どうぞ鏡に自分の体がどれだけ小さい的であるのか、なんとこれだけが守れないで刺されてしまうのであるか、をとくと映してごらんになるがよろしい。
剣道などでも打突ポイントは本当に小さいのであって、それすら守れない。
昔、大先生(先生の先生)というぐらいなのであるから私が14歳でその方80歳くらい。
背中がまがってよぼよぼ歩いてこられ、大丈夫かと思いきや、支度をして体育館に現れるや、先ほどと大違い。背筋はピンとして、竹刀を構える。
私は正面から面を打ち込む。チョイとかわされる。だけならまだしも、しっかり小手を打たれる。
その間の大先生の動きは僅かなもの。というのは後で仲間が掛かって行くのを見ていて、成る程と。
竹刀の先はご自分の体より外には出ない。だから少しの力でさっとかわせる。極意を見たり。
自分の体より外には打たれるところは無い。
竹刀でかわされるならまだ良い。寸前にひょいと横に、ほんとに半歩さっと移動されただけでこちらの剣は空を切る。大先生は余裕しゃくしゃく、こちらは汗だく。
これらが十手にも言えるのです。客観的に見れば、これだけの範囲だけのことかと。そう思えれば気持にも余裕ができ、相手のこともよく見えるようになるのです。
これは十手に限らず人生全般にも言えることです。
案外自分が思っているより他人から見ると自分は小さい。言い換えればそんなに身を小さくしていなくても、堂々としていて良い。
標的になるような時は最小限の動きでさっとかわせばよい。大きく動いて避けようと思うと、かえって隙が生じる。
なにも大きな力はいらない。ひとより強くなくてよい。危険をひとより早く察知できて、適正な動きができるよう、常日ごろから力を抜き、緊張感を持って生きていれば良い。
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